ZENタイルを買いました
こちら↓のまとめを見て感動してしまったので、ZENタイル ベーシックを買いましたというお話です。
ZENタイルのサイトはこちら
ZENタイルはどんなゲーム?
一言で言うと、禅を体験するテーブルゲームです。
もう少し言うと「今日一日の自分(の感情)と向き合う」ことを楽しむゲームだと自分は思っています。
エンタメ性の高いゲームのような派手な体験はできませんが、その「派手な体験」を振り返る…例えば映画を見て、それを反芻しながら感想を考えるような楽しみがあります。
9/27動画追記
これはゲームなの?
ゲームです(断言)。
あくまでも自分の中での定義ですが、ゲームは「ある体験を、簡単に楽しめるもの」だと考えています。
もう一歩踏み込んで書くと
- ある「体験・行為」をテーマとして、
- そのエッセンスを数値や道具で見えるようにして、
- ルールによってデフォルメしたもの
かな、と。
ZENタイルでは、禅=自分の心と向き合う行為を、ルールと道具を使って見事にデフォルメして、ゲーム(禅の仮想体験)にしていると感じました。
切った殺したが多いSATSU-BATSUなゲームを作ることが多い自分としては、スローかつ内面と向き合うものを題材としてゲーム化に成功しているのは、頭が下がる思いです。
デザインって大事
で、きっかけになったデザインの話に戻りますが、これが素晴らしい。
竹製のゲージに、碁石の感情アイコン、枯山水を模したゲームシート、これらが禅体験に非常に効いてきます。
デザインといえば、「見た目を整えること」「芸術的な見た目」をデザインって言っているのをよく見ますが、そうじゃねぇ。
少なくともゲームにおいてのデザインは、「機能を伝え、行動を伝え、体験を伝える」ための仕組みや設計を指します。もちろんそれで全部ではないですが。
ゲームの構成物はそのすべてに役割があります。プレイヤーにゲームの要素を余さず楽しんでもらうためには、しっかりと「伝える」「伝わる」ことこそがゲームのためのデザインの第一原則となります。
ZENタイルの遊びに必要な道具は非常にシンプルで
- 時間ゲージ=時間が書かれている
- 感情パネル=感情を表す一文字が書かれている
だけです。
例えば、プロトタイプがそうだったように「段ボール」で作っても大丈夫です。ルールに基づくデザインだけを見れば。
ですが、ZENタイルが伝える禅体験は、感情と向き合うウェットなものです。
そしてこれはテーブルゲーム。プレイヤーが物に直接触って進める必要があります。
そこにこそ、最初に触れたまとめにあるデザイン意図が効いてきます。
それぞれ、プレイヤーの操作の(物に触れ、動かす)たびに、碁石っぽい感情アイコンや、竹尺のような時間ゲージで触覚と聴覚の体験を、枯山水のようなゲームシートで視覚体験を、それぞれ増強しています。
そして、ゲームの完成形として「和の雰囲気」が伝わる、自分の今日一日の体験/心象がある種「和アート」になるようなものとして浮かび上がります。
ビジュアルも素敵ですが、禅を軸に練られたデザインが、ゲームの作り出す禅体験をプレイヤーに伝える(余さず体験してもらう)ためのメッセージになっていると感じました。
で、やってみてどう?
自分は最初に書いた通り、ゲームは「本来は体験が難しいものを、ディフォルメして遊べるようにしたもの」だと思っています。
ZENタイルは、勝負や競技にとらわれがちなゲームの中で、禅の持つ「自分を俯瞰視する」機能を、ルールでディフォルメ化しているように感じました。
その日一日の感情をキーに、出来事を振り返る。その過程を「禅」をモチーフにした行為で「駒」を通して俯瞰していく感じでした。
直接増れると飲まれかねない「感情」を、「駒=モノ」に変換して、そっとタイムラインに置く=手放す。
それを繰り返すことで、一日と感情を俯瞰できるようになる。
出来上がった見た目も前述のとおり、ある種アートチックで見目麗しい。
1回1回の行為は「感情を俯瞰するためのルール」を通じて「ちょっと変わった日記」を作るだけの行為なのですが(いや、もちろんこれも素敵ですが)、最終結果が「平面上のコマの配置」になるので、写真を撮りためることで「自分の感情変化を記録」することができます。
ZENタイルを使って、繰り返し「自分を俯瞰視する」ことで、「禅」へと通じていくような気がします。
ということで、「禅体験のゲーム化」を見事に果たしているのが素晴らしいです。
「禅体験」ができるZENタイル、買おうぜ。